ベントレー福岡

ベントレー福岡
Bentley Fukuoka

2015年2月21日土曜日

コンチネンタルフライングスパー入荷しました。

弊社HP・ブログを拝見頂き、誠にありがとうございます。

先日、2004年登録のコンチネンタルフライングスパーを入荷しました。

詳細は以下の通りです。


コンチネンタルフライングスパー
W12気筒6,000CC ツインターボ
正規ディーラー車
距離:31,000km
車検:H28年3月
左ハンドル
サンルーフ付き
2004年2月登録



         ・ボディーカラーは、MoonBeamという鮮やかなシルバー








・内装色はBeluga/Firegrowのツートンカラー







内装・外装共に綺麗です。

機関等も問題ありません。

流通量が少ない為、早期に成約する可能性もございます。

是非、お早目に。。。

詳しくは、当店舗スタッフまで。。。



2015年2月8日日曜日

ベントレー特別低金利キャンペーンスタート!!0.99%~

【べントレー特別低金利キャンペーン実施中!!】


皆さん、こんにちは。

福岡は相変わらず寒い日が続いております。

こんな日の風邪対策には、やはり「お部屋の湿度管理」も重要です。

通常、ある程度の湿度がある場合、空気中のウイルスは湿気と共に下降していますが、空気が乾燥すると、湿気が無くなり空気中のウイルスが舞いくなります。そうなると人間がウイルスを吸い込む率が多くなり、結果として風をひいてしまうということになってしまいます。
という訳で、加湿器をフル活用して快適にお過ごしください。



さて、本題ですが・・・


2015年2月~2015年3月末日までの間、ベントレー・ファイナンシャル・サービスのローン及びリース低金利キャンぺーンを行っております。


金利は、過去最低の0.99%~となっております



ご購入を検討されてある方は、是非!この機会をお見逃しなく!!


詳しくは、弊社スタッフまでメールまたは、お電話にてお問い合わせください。

【デトロイトモーターショー15】ベントレーのSUV、車名は「BENTAYGA」に決定…2016年発売へ

【デトロイトモーターショー15】ベントレーのSUV、車名は「BENTAYGA」に決定…2016年発売へ





ベントレーは米国で開幕したデトロイトモーターショー15において、開発中の新型SUVの車名を『BENTAYGA』(ベンタイガ)と発表されました。



 






ベントレーは2012年3月、ジュネーブモーターショー12に、コンセプトカーの『EXP 9 F』を出品。ベントレーにとって、久々のSUVを提案したコンセプトカーで、SUV市場への参入の可能性を模索するための1台でした。



 



2016年に市販されるSUVが、BENTAYGA(ベンタイガ)。コンセプトカーのEXP 9 Fから、大幅にデザインが変わるとの事です。ベントレーならではラグジュアリー性とパフォーマンスを併せ持つSUVとなります。


 





車名BENTAYGAとは、ベントレーの創業者に思いを馳せつつ、大自然にインスピレーションを得たものです。ベントレーが創業した英国の北方には、世界最大の針葉樹林である「Taiga」が北半球の冷帯を覆い、美しく雄大な景色が広がる。また、南は亜熱帯のカナリア諸島では、町の至るところから「Roque Bentayga」の切り立った岩山を眺めることができる。


 



BENTAYGA は、2015年後半に発表され、2016年に発売予定。ベントレーのヴォルフガング・デュルハイマー会長兼CEOは、「BENTAYGAという名称は、ベントレーのSUVが世界中のどんな車よりも優れているという自信の表れ。自動車における最高のラグジュアリーを卓越したパフォーマンスと融合させ、これまでにない全く新しい体験を届けていく」と述べています。

 

※詳しい価格、スペック等はまだ公表されておりませんが、2015年より仮予約承っております。詳しくは、お電話にてお問い合わせください。














2015年2月1日日曜日

ベントレー豆知識 その一 ~歴史編~


いつもブログをご覧頂き、ありがとうございます。

今日の福岡はすごく天気が良いですね♪

こんな日はどこかドライブにでも行きたくなりますよね♪




さて、今日は少しだけベントレーに関する小話をしたいと思います。

御存じの方もいらっしゃると思いますが、少しだけお付き合いください♪



【ベントレーの歴史①】


ベントレーは創業者であるウォルター・オーウェン・ベントレー(以降W.O.に省略)

によって設立されました。

生れながらのエンジニアであったベントレーですが、最初に携わったのは自動車ではなく、汽車でした。

1905年、16歳の時、彼はイングランド北部の町ドンカスターの、グレート・ノーザンレールウェイ・ロコモティブワークスで働く為に、自転車に乗って出発したのです。

間もなく彼は自転車をバイクに乗り換え、休日には兄弟とレースに出場するようになります。
初めて出場したロンドンエジンバラ・トライアルで、二人は金メダルを獲得しました。

W.O.は、マン島のTTイベントや、ロンドン郊外のブルックランズ・レーストラックなどでも走っています。

やがては蒸気機関車よりも内燃エンジンの発する音の方が耳に心地よく聞こえるようになり、1912年にベントレー・ファミリーは何とか資金を用意して、フランスのDFPスポーツカーを輸入する小さな会社を買収しました。

1913年にDFPの工場を訪れた時のこと、W.O.はアルミニウムのペーパーウエイトを目にし、エンジンのピストンを、それまでの鋳鉄ではなく、軽金属で作ることを思いつきます。

このベントレー・ピストンは世界大戦中に使用されたソップウィズ・キャメルの航空機エンジン初めて組み込まれました。その後、自動車への興味を取り戻したW.O.はロンドンdレーシングエンジンの開発に取り組みはじめ、やがて完成したのがエクスペリメンタル・ベントレーNO.1です。

「私は早くてよい車を、クラス最高という車を作りたかった・・・」

そして彼は夢を実現しました。20年代になると、80mph以上のスピードを出す3リッター85bhpエンジンを搭載したベントレー・モーターズの車は、インディアナポリス、マン島、ブルックランズなどのレースに出場して数々のスピード記録や耐久記録を打ちたて、そしてここからベントレーとル・マン24時間レースの歴史との深い繋がりが始まります。

名高い"ベントレー・ボーイズ"の活躍によって、ベントレーは1924年、1927年、1928年、1929年、そして1930年のル・マン24時間レースを制覇し、中でも1929年には、1位~4位までを独占したのです。

しかしながら、レースでの好成績や大衆の喝采にもかかわらず、ベントレー・モーターズは経営危機に陥りました。1931年、黄金期は終わりを告げ、閉鎖7を目前にした時、ロールス・ロイスが救いの手を差し伸べ、ベントレーの名は救われて新しい時代が始まりました・・・













皆さん、いかがだったでしょうか?

国内も海外においても、歴史とは実に感慨深いものですね♪

それでは次回もお楽しみに♪