いつもブログをご覧頂き、ありがとうございます。
今日の福岡はすごく天気が良いですね♪
こんな日はどこかドライブにでも行きたくなりますよね♪
さて、今日は少しだけベントレーに関する小話をしたいと思います。
御存じの方もいらっしゃると思いますが、少しだけお付き合いください♪
【ベントレーの歴史①】
によって設立されました。
生れながらのエンジニアであったベントレーですが、最初に携わったのは自動車ではなく、汽車でした。
1905年、16歳の時、彼はイングランド北部の町ドンカスターの、グレート・ノーザンレールウェイ・ロコモティブワークスで働く為に、自転車に乗って出発したのです。
間もなく彼は自転車をバイクに乗り換え、休日には兄弟とレースに出場するようになります。
初めて出場したロンドンエジンバラ・トライアルで、二人は金メダルを獲得しました。
W.O.は、マン島のTTイベントや、ロンドン郊外のブルックランズ・レーストラックなどでも走っています。
やがては蒸気機関車よりも内燃エンジンの発する音の方が耳に心地よく聞こえるようになり、1912年にベントレー・ファミリーは何とか資金を用意して、フランスのDFPスポーツカーを輸入する小さな会社を買収しました。
1913年にDFPの工場を訪れた時のこと、W.O.はアルミニウムのペーパーウエイトを目にし、エンジンのピストンを、それまでの鋳鉄ではなく、軽金属で作ることを思いつきます。
このベントレー・ピストンは世界大戦中に使用されたソップウィズ・キャメルの航空機エンジン初めて組み込まれました。その後、自動車への興味を取り戻したW.O.はロンドンdレーシングエンジンの開発に取り組みはじめ、やがて完成したのがエクスペリメンタル・ベントレーNO.1です。
「私は早くてよい車を、クラス最高という車を作りたかった・・・」
そして彼は夢を実現しました。20年代になると、80mph以上のスピードを出す3リッター85bhpエンジンを搭載したベントレー・モーターズの車は、インディアナポリス、マン島、ブルックランズなどのレースに出場して数々のスピード記録や耐久記録を打ちたて、そしてここからベントレーとル・マン24時間レースの歴史との深い繋がりが始まります。
名高い"ベントレー・ボーイズ"の活躍によって、ベントレーは1924年、1927年、1928年、1929年、そして1930年のル・マン24時間レースを制覇し、中でも1929年には、1位~4位までを独占したのです。
しかしながら、レースでの好成績や大衆の喝采にもかかわらず、ベントレー・モーターズは経営危機に陥りました。1931年、黄金期は終わりを告げ、閉鎖7を目前にした時、ロールス・ロイスが救いの手を差し伸べ、ベントレーの名は救われて新しい時代が始まりました・・・
皆さん、いかがだったでしょうか?
国内も海外においても、歴史とは実に感慨深いものですね♪
それでは次回もお楽しみに♪